2018年11月6日火曜日

2日念佛座談会

 11月に入り少し寒くなりつつありますが、六甲山が紅葉に染まるのはまだまだ先のようです。
お知らせいたしましたが、2日の念佛座談会は今回と次回を以って終了となります。
今回は『称名念佛(しょうみょうねんぶつ)』で座談をいたしました。

 ある方がご聴聞をされていたときに、その時の講師の方に「称名念佛は名に称(かなう)ことで、音を出す事ではない」といわれたということで、その方が、「声に出す事ではないのですか?」と問い直したところ、「そんなことは(親鸞聖人の著作に)書いていない」と 言われたという事でした。
 親鸞聖人のお書きになられた『一念多念文意』には、

「称は御なをとなふるとなり、または称ははかりといふこころなり、はかりといふはもののほどをさだむることなり」

 と仰っており、「御な」とは阿弥陀仏の名号をさすことから、第一義的には南無阿弥陀仏と称えるということになります。ここで言われている先生のご指摘された「かなう」は称の左訓に「かなふ はかる」とありますので、間違いではありません。

 ではやはり声を出して南無阿弥陀仏と称えればいいのだ、という事になりがちですが、そこに一つ問題があります。
 
 阿弥陀佛は私達に向けて「我が名を称えよ、必ず助ける」と仰っています。この一句は助からない者を必ず助けるという慈悲からの言葉であり、佛の願いでもあります。このように聞くと吾々はすぐに「称えたら助かるのですね」と持ち替えてしまい、「一生懸命大きな声で称えたら助かる」としてしまいます。こうなると、人間側の意思が働き、条件的な文言となってしまいます。それでは佛のお心を受け取ることができません。この辺りは微妙な所ですね。

 では、親鸞聖人がどのように領解されているかというと、南無阿弥陀仏は本願召喚の勅命であるといわれます。難しい言葉ですが、本願召喚の勅命というのは「直ちに来たれ、そのままなりを助ける」という喚び声です。本願召喚の勅命を聞いて称えるものならば浄土に生れることが決まるというのです。念佛を称えた回数や称えている時の心情などで浄土に生れる事が決まるのではなくて、本願召喚の勅命であるから浄土に生れる事が決定すると、そのようにご領解されています。

 また、「信心を得た」ということがありますが、それは本願召喚の勅命が聞こえたという事で、佛の喚び声が聞こえたという事です。では喚び声を聞くにはどうするかと申しますと自分で「南無阿弥陀仏」と称え聞く事です。非常に直接的で具体的に本願召喚の勅命を聞けるわけです。本願を信じれば念佛を称えなくてもよいと考えている方もいるようですが、それは本願を概念化し知識的な理解をしているということになりましょう。
 親鸞聖人が法然聖人より賜った言葉が歎異抄にありますが、そこに「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」とあります。それは阿弥陀様の御心を聞くところに助かるということでありましょう。今回の『称名念佛』はわかるようでわからないところでもありますので、どうぞご聴聞の中で確かめて頂きたいとおもいます。

ナンマンダブツ

次回の念佛座談会は12日です。




2018年11月3日土曜日

お知らせ〈学習会の変更について〉
 
 現在、念佛寺では毎月5回法座を開いております。
2日と12日はお念仏に親しみ座談を行う『念佛座談会』ですが、
来年より住職の負担を考えて2日の念佛座談会は取りやめることとなりました。
 
 それに伴い、6日の『輪読会』を新たに『聞名の会』として講義・座談形式で行うことになりました。
念佛座談会自体は減らしますが、やはり座談し信心を確かめる時間は大切であろうということで名称・内容を変更することとなりました。
 
 2日の『念佛座談会』を楽しみにされていた方、或いは2日のみのご参加の方には非常に申し訳ない事ではありますが、来年1月よりその様にさせていただきます。

よろしくお願い申し上げます。

念佛寺