2021年9月24日金曜日

今回のご案内は久しぶりの「念佛寺限定法話」の更新と「松並松五郎念仏語録 ~味わい動画」の更新のお知らせです。

 今回のご案内は久ぶりの「念佛寺限定法話」の更新と「松並松五郎念仏語録 ~味わい動画」の更新のお知らせです。



 先日、念佛寺彼岸会を無事勤め終えました。
コロナ禍の中での開催にもかかわらずご参詣いただきました。
 開催にあたっては新型コロナ感染症が確認された当初より、その対応に苦慮して
おりましたが、今回も感染対策を施したうえでの開催とさせていただきました。
しかも、未だに収束の兆しの見えない状況ですが、なるべく行事や法座は中断の
ないよう執り行いたいと考えております。


 さて、今回は久しぶりの「念佛寺限定法話」の更新です。私(副住職)自身も最後の更新がいつであったのか覚えていない程です。内容は「信心獲得章」の法話です。動画の画面は固定しており音声主体となっております。

 「念佛寺限定法話」は念佛寺HPより視聴可能ですが、公開を限定している為に念佛寺youtubeにチャンネル登録して頂いておられても、更新の通知はいきません。多少不便ですが、念佛寺HP経由でご覧になってください。

念佛寺限定法話 念佛寺HP真宗大谷派 (東本願寺) 念佛寺 (nenbutsuji.info)

 

 「松並松五郎念仏語録 ~味わい動画~」は36頁あたりからです。今回は1本ですが、少し長めの動画です。どうぞご覧になって味わってください。

真宗大谷派 念佛寺 - YouTube


次回予定しているのは木村無相師の動画です。時期は未定ですが、来月中にはUP出来るかとおもいます。

南無阿弥陀仏

念佛寺







2021年8月25日水曜日

松並松五郎念仏語録味わい動画の更新と、それとは関係の無いお話(軽く読んでください)

松並松五郎念仏語録味わい動画の更新と関係の無いお話(軽く読んでください)

8月もあと少しですね。
 今年のお盆参りは連日の雨でなかなか大変でした。お参り先でも「お盆にこんなに雨が降るなんてはじめてちゃう?」という声も聞こえてきましたし、私の記憶にもないので恐らくはそうなのだと思います。そういえば、夏の甲子園も試合中断や順延がありましたね。念佛寺から甲子園までは徒歩で20分掛かります。念佛寺の住所は「甲子園口」なのですが、住所名ほど甲子園球場が近所ではありません。ですが、高校野球の試合映像での雨が実際どの程度の雨なのかがよくわかる距離ではあります。大阪桐蔭高校と東海大菅生高校の降雨中止時は実際激しく降っていましたし、それが連日ですからこのお盆の雨は例年に無いものだったように思います。

 高校野球でいうと、小学生の時(西宮に居ましたが、現在とは違う場所です)に、校区内に『水明荘』という旅館(現在廃業)があり、その当時東京代表の定宿になっていて帝京高校がよく泊まりに来ておりました。記憶にあるのは芝草宇宙という投手が帝京高校に居られて、人気があったのだと思いますが、甲子園から試合を終えて水明荘に帰ってくると若い女の子が一目見ようとすごい人だかりが出来ていていました。
 そういう事があると親近感が沸くというか、高校野球の応援は地元を贔屓目に見てしまうのですが、ほかの地域は親近感があるかどうかで見てしまいます。鹿児島代表は鹿児島に住んでいたから、とか香川代表は親戚がいるからとか、祖母がいるとか義理の両親がいるとか、応援する理由を探しながら応援していると応援するところばかりになります。しかし、一生懸命にプレーする姿とか、負けたあとの涙を見ると、みんなよく頑張ったんやなと地域代表云々や勝敗を離れて感動するようなこともあります。
 この2年はコロナ感染症で無観客試合なので、早く以前のような観客が作り出す甲子園の雰囲気を取り戻してもらいたいものです。そういえば、5年生か6年生だったか、山口の宇部商業の試合の時に、たまたま宇部商業側の一塁側内野席で友人と観戦していたら、後ろに座っていた女性(多分宇部商業応援の高校生)が「これ飲み~」とジュースをくれた事があって、、、そういう事は忘れませんよね・・・。
  

 さて、全く話が変わりますが、やっと松並松五郎念仏語録動画についてですが、ようやく20回を超えました。動画を出すということはこんなに大変なのかと思っている次第です。しかも松並松五郎念仏語録は長いですからね・・・。
 しかし、大変なことばかりではなくて肝心の動画はその良さというのもありまして、実際観ていただければわかりますが、打ち合わせもほとんどせずに撮影しているので、グダグダになることもありますが、考えている「間(ま)」をそのまま撮影しているため、文字では表せない動画ならではのものが出来上がっていると思っております。そして今回の動画ですが、毎回そうなのですが、筋は同じようなものです。代り映えは無いかもしれませんが、それぞれに特色はあるので味わっていただければと思っております。私自身も味わいつつ深まっていければと思っております。

ナンマンダブツ
念佛寺




 

淡路島側からの写真
対岸は神戸市







2021年8月12日木曜日

電子書籍版『近代教学と伝統教学の接点』が発売されました

 先日、響流書房様より『近代教学と伝統教学の接点』が電子書籍にて出版されました。この本は同人誌『朋友』に投稿された記事をベースに編集されたもので、一貫して真宗教学を問うたものとなっています。

電子書籍版は定価300円となっております。是非ご覧になってください。 なお、念佛寺に於いては先行して製本版を販売しております。





近代教学と伝統宗学の接点: 真宗大谷派の教学を考える (響流選書) | 土井 紀明 | 仏教 | Kindleストア | Amazon





2021年7月15日木曜日

8月のご案内(休会など)

  関西はもうすぐ梅雨明けでしょうかね、蝉も鳴きだし、暑い夏を予感させるようになってまいりました。 最近の梅雨は災害につながるような大雨が各地で頻発しているので、この時期から台風シーズンはどこか気の抜けない状況です。 さて、8月の念佛寺の予定ですが、


8月6日 (聞名の会) 午後7時~

8月10日(盂蘭盆会) 午後2時~

となっております。8月12日の念佛座談会と8月18日の真宗入門講座、8月22日真宗同朋の会は休会となっております。

また、新型コロナ感染症の対策は持続いたしますので、マスクの着用と手の消毒は行ってください。(消毒は用意しております)

どうぞご聴聞にいらしてください。


念佛寺





2021年7月6日火曜日

更新情報

  念佛寺youtubeを更新しました。

 松並松五郎念佛語録の解説動画を更新しました。是非味わってください。 解説動画は「正解」ではありません。ですので、皆さんでご自由に味わっていただければと思っております。ですが、どうしても味わいにくいところや全くわからないところがあるとおもいます。そういう時はメールでご質問やご感想をいただければと思っております。ただし、「正解」ではないので、それを手掛かりに味わっていただければと思っております。また、更新頻度があまり高くないので、何度も味わっていただければと思っております。


これでよい、これで間違いないとは、仏様の仰せられること、阿弥陀様のお心である。 『松並松五郎念仏語録』より(動画解説あります)


ナンマンダブツ

念佛寺




 

 





2021年6月14日月曜日

念佛寺youtube更新しました

 近畿地方は先月梅雨入りしたのですが、甲信越では本日の梅雨入りということですね。今のところ雨はあまり降っていないので過ごしやすいのですが、この近年は雨が降ると災害になりやすくていつも冷や冷やしております。というのも、念佛寺は「武庫川」というこのあたりでは川幅のある河川に近いために、西宮市のハザードマップでは約5メートルの浸水予想地になっています。その為、大雨が降るといつも水位をインターネットで確認しているのですが、いざ浸水するとどうなるのでしょうかね。逃げる準備だけは一応しております。

 さて、今回は念佛寺youtubeの更新をいたしましたので、そのご案内なのですが、あまり仏法を聞いたことの無い方には何を言っているのかわからないかもしれません。しかし、何度も何度も聞いていただくとだんだんと耳が育ってくるので、だんだん味わっていただけるものだとおもいます。 普段からご聴聞されておられる方はそのまま味わっていただければとおもいます。勿論、それぞれ違う味わいになることもあるとおもいますが、「合ってる」「間違っている」という事を気にせずに味わっていただければと思っております。

 あと、お手紙やメールなどをいただいております。本当に有難うございます。youtubeにはコメントを入力できないようにしておりますが、ご意見やご感想などがあればご遠慮なくメールなどをしていただければと思っております。

今後ともよろしくお願い申し上げます。


南無阿弥陀仏

念佛寺

副住職 土井尚存

先日、六甲山に登ってきました。 途中の山から宝塚方面を撮ったものです。
中央より左の赤茶色の屋根は宝塚歌劇団の劇場です。
その横の川が武庫川で念佛寺の近くを通って大阪湾に流れ込みます。







2021年5月27日木曜日

思い立ち書き綴ってみました

 先日、木村無相師についての動画を父と共に撮影しながら思ったことがあるので、

少しそれについて書いていこうかと思います。


木村無相師という方は父にとって念佛の道を決定づけた方ですが、木村無相師を

私自身があまり考えたことはありませんでした。勿論、木村無相師の事は

私が小学生の頃には名前くらいは知っておりました(自宅に来られたこともあったようですが覚えておりません)し、無相師に関しての事も少しは知ってはいたのですが、

今回は何故か、こういう事をご縁と言うのでしょうが、不意に木村無相師をもう少し知りたくなり父の『木村無相 お念佛の便り』とは別に、岩崎成章さんの『無相法信集』から改めて木村無相師に迫ることにいたしました。その『無相法信集』4頁に


「ただ念仏してミダに助けられまいらすべし」を一直線に歩ませて頂きます。”たとえ多くの人が、それを真宗でないと言おうとも”とこうした断言は彼との親交の十五年間ではじめて聞いた「声」でした。



 と無相師より岩崎さん宛て手紙にあります。 この内容は『木村無相 お念佛の便り』70頁にもありますが、父の並々ならぬ覚悟、うろうろしていたであろう父に”道”がついたと思われる瞬間を木村師は喜ばれたのでしょう。その前提は父が


『世上、真宗の先生といわれる方が沢山あり、一体どの人のいわれる事が本当なのかとまどうことがあります』(『木村無相 お念佛の便り』6頁)


 と、多くの先生方の多種多様の説き方に戸惑い深く悩んでいた父の姿を感じ取っておられたに違いありません。この当時(昭和50年代)頃の大谷大学にはいわゆる碩学がキラ星の如く在籍しておられたのですが、それ故に聞く者にとっては、どの先生に師事すべきか非常に悩ましい問題であったのかもしれません。

 今に思うと贅沢な悩みかもしれませんが、当時の父は必死であったのでしょう。直接は聞いたことはありませんが、この文面からすると悩みというよりも闇の中で藻搔いている様子が伺えます。

 この経験は私もあるのですが、もしかすると真宗のみ教えをご聴聞される多くの方にとってこの問題はあるのではないでしょうか。木村無相師の同じ悩みをもっておられたはずです。

 

 動画にもありますが、木村無相師ご自身も真言と真宗を行ったり来たり繰り返された経験があります。これは「真言ではこのように言う」や「真宗ではこのようにいただく」と、どちらも嘘で無くとも”その通り”いただくことに非常に悩まれたのではなかろかと、そう思われます。

 

 また、先に私自身も経験があると申しましたが、経験の方向は全く逆のでお念佛が先にあったという事によって苦しんだ経験があります。私が中学生の頃になると父が「尚存、お念佛じゃぞ」と聞くことがありました。そういうこともありお念佛、ただ念佛、という事が心に刻まれていくわけですが、大谷大学に入るとそれが一変します。

 私が大谷大学に在籍した頃(だったと思いますが)は、本山の外壁に「今、いのちがあなたを生きている」というスローガン掲げられていました。後に一部で「いのち教団」と揶揄されていますが、学内でも「いのち」や「生かされている」という言葉が頻りに聞こえてきました。「阿弥陀のいのちにいかされている」、初めて聞いた時は良くわからない言葉ながらも妙な感動がありました。「真宗を学ぶという事はこのような事に触れていくことか」と、方向性が定まったというか、感動的な言葉に出会うことが学びなのだと思っておりました。事実「慙愧する」「うなずく」・・・等々。

 枚挙に暇はありませんが、兎に角、それまでの人生で出会ったことのない言葉に酔ったような状態でした。これこそが真宗だと。そして、それが深まるにつれて父の言っていた「ただ念佛」「ナンマンダブツ」が古臭いものだと感じるようになりつつも、何故このように味わいが違うのかという疑問も生じてきました。このあたりが迷いの始まりです。結果的には、お念佛の信心に還ってくるわけですが、それぞれの先生方のそれぞれの言い分が戸惑いの因になりうるのだと知らされました。「この先生がこのように仰った」というような事を根拠にするのではなく、弥陀の本願が私の助かる”根拠”であると聞く。先生を根拠とするのではなく、阿弥陀仏の本願を根拠とする。そこになかなか辿り着けませんでした。また、根拠という事について思う事は『無相法信集』40頁にも


さて、北海道から来た講師さんがお話の時に、お念仏くらい申していてもあかんと再三仰っていたとのこと


 とあります。無相師は「くらい」についての所感を述べられておりますが、私の思うところは、木村師のお手紙当時に、あるご高名な先生が仰った事として、あるお同行が「ナンマンダブ ナンマンダブ」とお念佛を申していたら、先生が「やかましい!」と仰った事があったようです。ご高名の先生ご自身は「念佛申す」ことに対して思う事があったに違いないのですが、それを真似する講師が出てきたという事がありました。詳細は申しませんが、ある教区から出された出版物にもあります。

 高名という云わば権威者を根拠としてそれを自分の言葉とする事が増えてきたのですが、それに関連して同じく『無相法信集』63頁に


今の先生方は自分の凡夫の「自覚」ばかりやかましく言っていないで、おおもとの如来法蔵さまの大自覚を自覚させていただくことが大切でないかとおもうことです。


 と無相師が述べられております。「自覚」「機の自覚」というとまたご高名な先生を思い浮かべるわけですが、またその先生が仰った事を根拠とし、お話をする方がいるわけです。

「機の自覚」という事を悪く言っているわけではありません。無相師の仰る如来法蔵さまの大自覚は二種深信に他なりませんから。しかし、無相師の指摘は「自覚」と言っても

自分自身が「私は悪人と思っております」というような自分の方を自分で見ているというところを指しているわけです。無相師は、自分で思うような事は何の頼りにもならんと。

だから如来法蔵様のお手元をみよと。厳しい指摘の背景にはこのような状況にある教団を憂いてのことであったのだと思われます。


 最後になりますが、最近、ご縁のお方がある座談会で「真宗は問題を持ち続けるものであり、答えを得てはいけない」という趣旨の指摘をされたという相談がありました。

私自身も「問を持ち続けるのが真宗」という旨の話を聞かされたことがあります。これに関しては疑問を呈せざるを得ないものがあります。

 確かに自己自身を問うという事はご聴聞するにあたって大事でありますが、思うに自己自身の問いを解決するのが真宗であり解決した方が親鸞聖人ではないかと思うわけです。

答えを得てはいけないとなると、親鸞聖人自身が自身の解決をされなかったということになるのではないかと、そう思うわけです。問いを持つとすれば

何故答えを得てはいけないのか、親鸞聖人は何の解決もなされなかったのか、という事に問を持つべきだろうと思います。(副住職)

岩崎成章さんより直接いただいた『無相法信集』


表紙の裏に無相師の手紙が貼られて送られてきました
無相師も岩崎さんも父に対して暖かい方であったようです