2017年1月28日土曜日

一蓮院に学ぶ


「仏法聴聞は一つの事を聞く事です。」
聴聞していると何度もこのような話を聞くのですが、まったくその通りです。
しかし、これがなかなか難しい事です。


わたしたちは講義や講演会などを聞く場合、内容のある話であれば沢山聞きたいと思います。
それによって自分の関心事を知ることが出来るのはもちろんですが、
それ以外にもたくさんの事柄も知ることが出来ます。

そうすると多くの知識を得ることが出来ますし、知ったという喜びを得ることも出来ます。


一般的な講義などは様々な話を聞き多くの知識を得る事を目的としている場合が多いのですが、
真宗の仏法聴聞は仏教の知識を増やすためというようなのものではありません。


ですので、真宗寺院などでの法話は様々な種類の説明的な話をたくさん聞くという事を目的としているわけではなく、
一言で言えば「阿弥陀様がわたしに何を仰っているか」を聞く事、ただこの事の他に何かあるわけではありません。


もちろん、学問的な話も多少聞かなければ話自体を理解することは適わないので多少必要な事ではありますが、しかし、そればかりでは阿弥陀様のお心に触れる事はできません。
『一蓮院秀存語録』に



「名古屋御坊での説教に、此度差向(さしむけ)で参りて長々の説教、一々覚えて居るではない。たつた一つ覚えて帰れ、南無阿弥陀仏一つで助かる事は、同行にも孫子の末に至るまで、忘れずに言ふて傳へよ。」(秀存語録)



と、古来より伝えられることであります。
「たった一つ」を聞くのですが、阿弥陀様はわれらに「たった一つ」しか仰っていないのです。
これを自分の主観で理解し、受け取りやすくした上で受け取るのではなく、阿弥陀様の仰った事をその言葉の通りを受け取るのです。


阿弥陀様のお心はナムアミダブツとなってわたしに届いております。
このナムアミダブツにおいてわたしたちは阿弥陀様に出遇う事が出来るのです。
しかし、ナムアミダブツが無ければ阿弥陀様に出遇う事もなければ、そのお心に触れることもなかなかできません。

「念仏申すばかりで必ず助ける」

阿弥陀様は称えさせ聞かせ信じさせ必ず救うところまで仕上げて下さっています。


ナンマンダブツ                       
ナンマンダブツ